RCサクセション 『シングルマン』 SHM仕様

  • 2009/05/26(火) 23:59:00




”ラプソディー・ネイキッド”を聴いた時も思ったけど
、RCってつくづくプロデューサーや製作スタッフに恵まれて無かったんだなぁと思ってしまった。

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忌野清志朗が亡くなってからもう3週間ほども経つ。
時が経つのは相変わらず早い。
だけど、あの日の朝、新聞に目を通したときの衝撃は未だに忘れらないし、喪失感は簡単には埋まりそうにない。


そんな中で不思議とRC時代の『シングルマン』がどうしようもなく聴きたくなってしまった。
昔レコードが再発された直後に聴いてあんまり芳しい印象を持っていないアルバムだ。
あれからもう30年近くも経って随分と頭や体は硬くなったけど、自分なりにいろんな音楽を聴いてきて逆に耳だけは柔らかくなった筈だ。
だから今聴いてみたらまた印象が変わるのかも?と思ったからだ。

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やっぱりこのアルバムを名盤と呼ぶのはためらってしまう。
初期のハード・フォークからロック・バンドへと転換する過渡期のアルバムとしか言いようが無い。

その元凶は何よりもアレンジャーにある。
RCのロックに向かおうとするエネルギーやアプローチを全然理解していないんだもの。
まったくこのアレンジャーはRCに何をやらせたかったのか。
’70年代のニュー・ミュージックやフォークの人たちが今回はロックをやりましたってのと丸っきり同じ匂いがする。
若い頃はこういった匂いが本当に駄目だったから余計に好きになれなかったんだろう。


ただそんな中にあってもラストの『スローバラード』は別格としても、レコードで言うところのA面ラストの『夜の道を散歩しないかね』からB面『ヒッピーに捧ぐ』〜『甲州街道はもう秋なのさ』 まではどうしようもなく鈍い光を放っていた。

ロマンチックで暗いやるせなさと青い絶望がふわふわと漂っているような感じでどんどん引き込まれてしまった。
そしてなんといってもどう歌っても哀しみがにじみ出て来る清志郎のヴォーカルがなんとも魅力的だ。
時に絶叫し、時に優しく、時にむせび泣くように。。。

このアルバムのレコーディングは清志朗がまだ22や23かそこらだったてのには恐れ入る。
確かに黒人音楽というかオーティス・レディングへのコンプレックス丸出しのヴォーカルではあるんだけど、同じように黒人音楽への影響下にあるあのミック・ジャガーにだって負けていない。
イヤ、めんどくさい日本語で歌ってる分だけ清志郎のほうが上だ。(笑)
本当にすごい声を持っていたんだなぁと改めて思う。

それがよりによって喉頭ガンだなんて神様も残酷なことをするよ。。。


でも、このアルバムが愛聴盤になるかというとやっぱり微妙なところだ。
だけど数年に何回は思い出したように引っ張り出しては聴き続けていくような気がする。

あれ、それって愛聴盤ってことじゃないの?(苦笑)


でもねぇ。。。

このアルバムこそ流麗なストリングスやチェロだとかを廃した”ネイキッド”で聴いてみたいという思いが募ります。
若き日の清志郎が本当に完成させたかったアルバムとして。

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クレジットをちゃんと”CD”に変えているのが嬉しかった。



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